秋田屋台村協議会
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たばこ座横丁由来、歴史

 慶長七年(1602)、常陸から国替えとなった佐竹義宣は、土崎の湊城に入場しました。しかしそこが狭い平城だったため翌年に久保田の神明山(千秋公園)に久保田城を築き、城下の町割りをしました。
 旭川の東側が武士の住む内町、西側が商人の住む外町(とまち)に分けられ、外町の西側には寺町が配置されました。
 外町には土崎湊から多くの商人が移り住み、特定商品の独占販売権が認められる町もいろいろできましたが、ここ本町五丁目は慶安二年(1649)に煙草座が立てられ、煙草の売買は本町五丁目のみに独占的に認められる占売権(しめうりけん)となりました。この煙草座の占売権は久保田城下のみならず、近郊の村々までも及びました。
 現在の仁井田の辺りに葉たばこ畑が点在していましたが」、そこから仕入れられた葉たばこがここにあった工場に運ばれ、刻みたばこが製造されていました。

川反の起源

 「かわばた」という地名は川のほとりという意味で「川端」と書くのが普通ですが、これを「川反」と書くのは、大変に珍しいことです。
 藩政時代には「川端」と書いていたようで、当時の住人はほとんどが武士でした。
 しかし、街つくりが進むにつれて「川端」は町人の街となり、武士は川の東側に移り住むようになりました。このため川の西側沿いにある「川端」は、武士から見て川の反対側に位置となりました。こんなことから「川反」の字が当てられるようになったと云われています。
 町人の町・川反が生まれ変わる転機となったのは明治十九年の大火(俵屋火事)でした。この火事で消失した芸者屋、料理店が川反四丁目に次々と移転を始め、これが歓楽街・川反の始まりとなったのです。